台湾における学校教育のあれこれ

台湾での学校教育に関するよもやま話

日本の義務教育は小学校6年間、中学校3年間の計9年間となっています。一方、台湾では1968年に制定された9年国民義務教育が長らく続いていましたが、2014年に12年国民基本教育へと改訂され、国民小学校6年間、国民中学校3年間に加えて、日本の高等学校に当たる高級中学校3年間の計12年間となっています。

台湾においても教育問題は家庭において重要な位置を占めています。いかに良い国民小学校に入るか、いかに良い国民中学校に入るか、そしていかに良い高級中学校に入るか、そしていかに良い国立大学に入るか、です。台湾での最難関大学は国立台湾大学です。国立台湾大学は日本統治時代の台北帝国大学であり、日本でいうところの「旧帝大」の1校でした。ここには帝大時代に建築された校舎がいくつか残っており、リノベーションされて、利用され続けています。現在の台湾で名門校と呼ばれているのは他に台北市にある国立政治大学や新竹市にある国立精華大学国立交通大学、桃園市にある国立中央大学、台南市にある国立成功大学などが挙げられます。

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台湾のトップ校、国立台湾大学は旧帝大の台北帝国大学

台湾にはこのほかにも学校の校舎が日本統治時代からそのまま大切に使われているところがあります。台北市にある屈指の名門校で男子校の台北市立建国高級中学、同じく最難関の女子校である台北市立第一女子高級中学 (北一女中) の校舎が有名な建築物としてあげられます。男子校の建国高級中学は台湾最古の公立高校であり、日本統治時代には旧制の台北第一中学校 (台北一中) だった学校です。日本でも上映されて話題となった台湾映画「KANO」は台湾から出場した日本人、台湾人、原住民で構成された中学校のチームが決勝戦まで進むストーリーですが、ここで出場した嘉義農林が当時話題となったのは混成チームだったからのようです。当時の台湾からの甲子園出場常連校は台北一中のような日本人だけで構成されたチームでした。

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日本でも上映されて話題となった台湾映画「KANO」

 

台北一中は現在、建国高級中学と、その名前を変えていますが、統治時代からの旧制中学の名前をほぼそのまま使っている学校も残っています。その1校が北一女中です。校名にある「第一」は統治時代の台湾における学校制度で使われていたものです。日本統治時代、旧制中学は日本人および日本語の習熟度が高い台湾人が通うことができる「第一中学」と、台湾人の「第二中学」の2種類がありました。現在、台中や台南にも「第一」が付く高級中学はありますが、今でも戦前からの「第一」を校名に残しているのは北一女中だけです。

 

 

歴史教育についての不幸な過去

歴史教育はどの国でも問題・課題が山積みだといわれています。本来、自国の歴史と同時に他国の歴史も学ぶことによって、私たちは自国と他国の関わりを知っていき、世界観を持つことができるようになります。

しかし、台湾の歴史教育はある意味、不幸であったといわざるを得ません。日本統治時代、台湾人は日本の教科書を利用し、日本の歴史を自国の歴史として学びました。1945年からの中華民国による台湾遷都以降は近年まで、中国 (大陸統治時代の中華民国) の歴史を自国の歴史として学ぶことになり、台湾の歴史を学ぶことができなかったのです。実際、ある年齢以上の台湾人たちに歴史教育に関して聞くと、中国の歴史ばかりを学ばされ、二・二八事件についてなど、台湾の歴史など学ぶ機会はなかったに等しいといいます。

台湾の歴史教育が変わったのは李登輝政権時代あたりからだと考えられます。1996年、初の総統・副総統選挙が行われ、李登輝氏が総統になり、97年から歴史教科書として採用されたのが「認識台湾」です。従来の国民党監修によって作られた中国の歴史を学ぶ教科書から、「認識台湾」が教科書になったことによって、台湾の歴史を自国の歴史、「国史」として学ぶことができるようになりました。台湾の歴史の中で3分の1を占める日本統治時代については客観的な事実に基づくものが紹介されるようになったほか、国民党による本省人弾圧があった「二・二八事件」についても詳細が取り上げられました。このことで台湾人は初めて、自国の歴史を知り、自国と世界の関係を理解することができるようになったのです。

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台湾アイデンティティー形成に役立った教科書「認識台湾」

その後、2000年の総統選で民主党の陳水扁氏が勝利し、総統に就任すると小中9年一貫教育の新課程が導入されていき、「認識台湾」に役割は終了。歴史教育は社会領域に取り込まれることになります。教科書の発行も民間出版社に解放され、教育部 (日本の文部科学省に相当) が審査する方法へと変わりました。

 

台湾の歴史教育の内容が変わったことで、台湾人は台湾人としての帰属意識、あるいは同一性、つまり台湾人アイデンティティーを確立することができるようになりました。「認識台湾」という教科書が果たした役割は大きいでしょう。生まれながらにして自らが台湾人として意識し、独立国家としての台湾を認識している「天然独」と呼ばれる世代・層が生み出されてきたのはこうした歴史教育の変化が背景の一つにあったといえます。

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教科書は民間からも出版できるようになった

 

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